創立40周年記念式典 第2部(記念講演)

記念式典に続き、第2部は写真家の松本紀生さんによる「アラスカぼうけん記」の講演会がありました。

最初に、この日のためにPTA役員がカーテンの暗幕を縫い直してくれたことに対するお礼を言ってくださりました。館内が真っ暗になると出席者から拍手が起こりました。

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講師の松本紀生さんは1972年松山市生まれ。1年の約半分をアラスカで過ごしています。
アラスカの誰もいない場所でしかも、暖房も電気もガスもない、-40度の中、冬はかまくらを作ってキャンプをしています。寒さがよくわかる実験の写真を見せてくれました。

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雪を溶かして沸騰させてお湯を作り、その出来上がったお湯を空にほおり投げたら、一瞬に霧状の氷の粒に変わりました。この日の気温は-30度。そんな場所でかまくらを作って一人でキャンプしているとのこと。アラスカは星がたくさん見え、流れ星が数えきれないくらい流れているとても素敵なところだそうです。

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アラスカの面積は日本の約4倍。春のアラスカの夜は太陽が沈まない白夜で、月明かりで文庫本の小さな文字も読むことができます。テントの周りには電気を通す電線を張り、そのテントの周りにはオオカミが近寄ってくることもあります。松本さんがオオカミの鳴き真似をするとオオカミも鳴き返してくれる動画を見せてくれました。無人島の小さな島で1か月から2か月くらい生活をします。

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食事は大量のスパゲティを持参していて、毎食スパゲティ。何年も毎日同じものを食べてるとさすがに飽きてきたので、今はお米を鍋に入れ、乾燥して潰した豆を混ぜて煮て、日本から持ってきたふりかけで味付けをして食べるそうです。何種類かのふりかけを使い分け、違う味を楽しんでいるそうです。

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天気の良い日はゴムボートを膨らませて、エンジンを付けて運転し、気分転換に無人島から遠く離れた海にクジラの写真を撮りに行きます。いろんな動物に出会い、シャチにも出会いました。
夏のアラスカにはクジラがたくさんいて、ザトウクジラは体長15メートル、約40トンもあり、群れになって泳いでいます。クジラがボートの方に向かって来たら、ぶつからないようにボートを叩きます。ボートを叩いていなかったら、クジラがぶつかってくる可能性があるのだそうです。こんな大きなクジラを目の前で見ると本当に嬉しくて、ドキドキワクワクすると語ってくれました。

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鮭がたくさんいる場所にはヒグマもたくさん生息しています。普通、ヒグマは人間を攻撃しませんが、人間とばったり出会い驚くと襲って来ることがあるそうです。そこで、ヒグマの写真を撮るときだけ松本さんはアラスカのガイドさんを雇います。
このガイドさんは、ライフルや銃を持ち歩かず、ヒグマの顔や体の動きをよく観察して、クマのメッセージを伝えてくれます。そのお陰でクマのものすごく近くに行って写真を撮ることができます。万が一の時のためにクマ除けのスプレーや発煙筒も持っていますが、24年間、1回も使ったことはないそうです。

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冬のアラスカではオーロラが出てくるのをじっと待っています。真ん中が赤色のオーロラはものすごく珍しく、今まで2回しか撮れていないそうです。特別にと写真を見せてくれました。
北アメリカ大陸で一番高い山デナリ。6200メートルのこの山の上の空を全部オーロラが埋め尽くすこともあるそうです。
飛行機に乗せてもらって50日分の荷物を降ろし、そこで2日間かけてかまくらを作って、50日間1人でキャンプをします。

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かまくらの中はろうそくの光だけで明るく、本も読めます。本も読み尽くしてやることがないな~、退屈だな~と思うと雪だるまの友達を作るそうです。可愛いお友達ですね。

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キャンプも終わりに近づくと、やらなければいけないことがあります。雪を足で踏み固め、飛行機の滑走路を作ります。何日も何日もかけて自分で作ります。
オーロラを撮るためにかまくらを作って一人でキャンプをし、誰もいない所で、-40度の中、毎日同じものを食べながら、吹雪に見舞われたりしながら写真を撮っている松本さんを「松本さんって凄いな~。ものすごく気持ちが強い、精神力を持ってる人なんだろうな~。」と思っている方もいるようです。それに対して松本さんは「僕はそんな強い精神力や気持ちを持った人間じゃない。」
では何故、アラスカで一人でキャンプをしていても寂しくないのか?誰もいない所でキャンプが出来るか?

「それは自分の好きなことをやっているから。自分がアラスカに行きたくて行ってる。アラスカが好きで写真を撮りたくて行ってるから、自分がやりたいことをやってるから、みんなから見て大変なことも大変だとは思わない。好きなことをやってると、自分が知らなかったような力がどんどん湧き起こってきて、自分を支えてくれる。自分を元気づけてくれる。好きなことをやってると、あぁ~楽しいな!生きてて良かったな~!写真を撮ってて良かったな~!と思える。」と語ってくれました。

松本さんは子供たちに「皆さん、将来の夢はありますか?」と問いかけ、「夢がある人やこれがやりたいと分かっている人は、それを諦めずに一生懸命頑張ってください。好きなことをやれるというのは本当に幸せなこと。他の人から見て大変そうだなと思っても、好きなことやってる本人はあぁ~楽しいな!生きてて良かったな~!幸せだな~と思えるんです。僕は今、そう思えています。」

「将来やりたいことがあったら、それが出来るように一生懸命頑張ってください。」と講演を締めくくりました。

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最後に夜空を舞うオーロラの写真や動画をたくさん上映してくれました。
とても幻想的で美しい写真が映されるたびに、児童からは歓声と拍手が沸き起こりました。

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講演の最後に児童からたくさん質問の手が挙がりました。

「今まで一番大変だったことは何ですか?」

「オーロラはどうやったらできるんですか?」

「かまくらの雪が溶けるにはどれくらいかかりますか?」

「アラスカにはじめて行った時、困ったことはありましたか?」

「体調不良になったらどうするんですか?」

「暇な時は何をしますか?」

「今まで撮るのが一番難しかった動物は?」

「オーロラで意外に思った色は何色ですか?」等の質問や、

「僕も本物のオーロラを生で見てみたいと思いました。」などの感想が聞かれました。

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最後にPTA副会長から御礼の言葉があり、記念講演の幕を閉じました。

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とてもすばらしい講演会で、一つ一つの写真や動画に子供たちの笑い声や歓声・拍手が起こり、保護者も感動しました。松本さん、すばらしい講演をありがとうございました。

創立40周年記念式典 第1部(式典の部)

11月17日(土) 創立40周年の記念式典と記念講演が開催されました。
体育館には3年生から6年生の児童・先生方をはじめ、御来賓の方々、地域の皆様、沢山の保護者も出席していました。
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式のオープニングは水軍太鼓クラブによる演目「勝ち鬨」です。
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開会のことばに続き、PTA会長のあいさつがありました。
PTA会長は30年前の創立10周年の時の卒業生だそうで、当時の思い出話をされていました。こうして40周年の節目を迎えられるのも、地域の皆様のお陰だと御礼を申し上げ、「児童の皆さんは今日一日楽しんでください。」との話がありました。

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続いては、校長先生のあいさつです。
校長先生の知人が本校の卒業生で、校歌がとても素敵で今でも大好き、誇りに思える校歌だと言われていたそうです。「愛・健・智」が盛り込まれた美しい歌詞に元気が漲るようなメロディー。6年間歌い続けるこの校歌は子供たちの心を豊かにするだろうと話されていました。

「校庭には玄関前のソテツをはじめ、様々な樹木が育っていて、季節の移り変わりを子供たちは肌で感じることが出来ること、このようなすばらしい伝統や環境は子供たちの心と体の健やかな成長を促してきたことと思います。『愛・健・智 光り輝け東っ子』のスローガンの元、教職員が一丸となり、そして保護者・地域の皆様と共に本校の子供たちの教育に尚一層の努力を捧げて参りたいと思います。」と、あいさつを締めくくりました。
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続いて、来賓代表として第十代の校長先生より御祝辞を頂きました。
平成5・6・7年、そして平成21・22・23年の2回にわたり、石井東小学校に勤められたそうで、本校には特別な愛着があるそうです。定年して7年目になるのに、未だに夢で石井東小学校の風景が蘇ってくるというお話をされました。

早春に駐車場に白い花びらを敷き詰める木蓮の木。
初夏にはプールで独特の香りを放つ山桃。
秋には形の変わった実がなる渋柿。
冬には西門の橙。いろいろな木が蘇ってきて、その後に子供たちの元気な声と明るい笑顔で心の中がいっぱいになるそうです。
まるで植物園のような学校の環境が卒業していく児童の心に大きな影響を及ぼしたのではないかと話され、「ネムの木やアコウの木など、珍しい木がたくさんある学校は珍しく、そういう貴重な学校に皆さんはいるのです。校訓の『やさしく、強く、考える』ことが50周年60周年とこれからもずっと刻んでいくことを祈念して止みません。」と祝辞を終えました。

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続いてPTAより、本と本棚の記念品授与がありました。
ありがとうございますと代表児童がしっかりと受け取りました。

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その後、代表児童から「すばらしい石井東小学校を目指して」と題して、あいさつがありました。この記念すべき年に最高学年として、ここにいることをとても嬉しく思いますとあいさつが始まり、「この40年の間には親子で石井東小学校に通ったという人もいることでしょう。僕の父もここの卒業生です。父は今も校歌を覚えていて、僕と一緒に歌うことが出来ます。」と話してくれました。

そして、この伝統ある石井東小学校をより良い学校にしていこうと運営委員として様々な活動に取り組んでいること、その一つにあいさつ運動があり、「学校でしっかりと挨拶が出来る人は、きっと地域の人たちにも気持ちの良い挨拶が出来ると思うし、そんな人が増えると校区全体が元気になると思います。学校内だけでなく、地域全体に広がって欲しいと願いながら活動しています。」と話しました。

「日々、大切なことを教えてくださる先生方。登下校の安全を見守ってくださる地域の方。僕たちの活躍を応援してくださっている卒業生の皆さんなど、僕の気づいていない所で支えてくださっている方がまだまだ居ると思います。
僕たちが不自由なく学校生活を送れるのは僕たちを支え、見守ってくださる多くの方々に感謝の気持ちを持ち続けるのは勿論ですが、何よりの恩返しは僕たちがこの石井東小学校をさらにすばらしい学校にしていくことだと語り、50年、100年、そしてもっともっと続いていく石井東小学校をすばらしい学校にしていくためにこれからも僕たちに出来ることを考え、実践していこうと思います。」とあいさつをしました。

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続いて、東石井獅子舞保存会の皆さんによるお祝いの獅子舞が披露されました。
東石井獅子舞保存会は石井地区で唯一、大人獅子が残っている保存会で当日は大人獅子と子供獅子の二体での披露でした。

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次に創立40周年を記念して児童からアイデアを募集し、選ばれたキャラクター「そてっしー」を発案者の6年生児童が紹介してくれました。

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校庭にあるソテツから誕生。
今から40年前の昭和54年に今のJR、昔の国鉄から譲り受けたそうです。
男子でも女子でもありません。そてっしーです。
一番のセールスポイントは尖った元気な頭の葉っぱです。
算数と国語が大の苦手。でも家では自主学習や宿題を頑張っています。
歌って踊るのは大好きで、特にダンスはキレッキレ。
かけっこは大の苦手。三学期のマラソン大会、どうしよう~。
学校で一番幸せな時間は給食の時間。
今まで残したことは一度もありません。一番大好きな食べ物は唐揚げです。
私は運動会で踊ったり、音楽集会で歌ったりすることが大好きです。
全校の皆さん、これからずっと私と仲良くしてくださいね。
そして、石井東小学校を一緒に盛り上げていきましょう。と、そてっしーを紹介してくれました。

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次に5年生が「地球星歌」、6年生が「ふるさと」をそれぞれ合唱しました。

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最後に児童全員で校歌を歌い、記念式典の第一部が終了し、第二部の記念講演へと続きました。

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講演会「幸せになるために だれもが生まれてきた」~みんなで助け合い、みんなが幸せになろう~

10月24日(水)、人権教育参観の後、人権講演会がありました。三年生から六年生まで、みんな静かに聞いていました。
講師は社会福祉法人あゆみ学園多機能型事務所あゆみ施設長の喜安勝也さん。演題は『「幸せになるために だれもが生まれてきた」~みんなで助け合い、みんなが幸せになろう~』でした。

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NPO法人アジアキッズケアでは、アジアやアフリカの困っている子供たちのために、「子供の命を守る」ための支援活動をしています。’04より活動をスタートし、13ヶ国に現地協力者と連携して支援物資を送っています。ボランティアの方々が参加してくれていますが、毎年増えているそうです。参加者は、留学生・小中高大学生、社会人ととても幅広く、国際交流もしていると聞き、とても驚きました。支援物資は、洋服だけじゃなく、トランプや楽器などもあるそうです。不用品は送らず、自分が貰って嬉しいものを送っているとのことで、特に鍵盤ハーモニカやリコーダーは、電池や電気のないところでも使えることから大人気だそうです。私たちの生活は、見たい時にテレビをつけ、蛇口をひねれば飲める水が出る。電気や水道が通っているのが当たり前になっています。日ごろから感謝しなくてはと改めて思います。
喜安さんのお話には、貧困で困っている世界中の子供たちが笑って学校に行き、みんな幸せになってもらいたいという願いが込められていました。